流れのままに ログ

2010年まではてなダイアリーで書いていたログの保管です。

あの時のはなし

かなり遅い話題ですけれども、7/1のサンデーでのはなし。
数日前に全国放送をしたラジオ番組の話でした。
ニッポン放送の番組でSTVから放送したんですが、終わってからずい分とSTVの皆さんに感謝されましたよー。名前を連呼しましたので。HBCでは言ったことないですよねー。」
藤「向こうで氏家さんが連呼しろって言ってますよー。」
洋「そんなことはしませんが。笑」
でも寛大ですよ、HBCは。STVからやりますけれども、って言ったらいいですよ、って言ってくれる。素晴らしい。R30を放送しなかった局とは思えない。大きくなりましたよー」
河野くんも「ずい分根に持ってたんですねー久しぶりに聞きましたよ。」って言ってたけれど、あの番組のこと気にしてたんですね(笑)。
私は見せていただくことが出来たのでその内容は見たのですが、道民は見れなかったじゃないですか、結局。でも、その時の内容に近いことをこの間のスバセカのゲストの時に話してくれたので良かったです。(R30はHBCなのだけど他局であるHTBの話ばかりだったので結局放送されずじまい)

その時に一番スッと納得したのが「どうでしょうが終わった」ということが東京でも仕事をしていこうと決めたきっかけだったということ。
ちょっとだけスバセカのトークの後半部分を書いておきます。


山「役者になるとか有名になってやるとかそういうのが全くなかったのが大学に入ってテレビの仕事をやって、なんとなくとんとん拍子っていうイメージなんですよ。」
洋「いやぁーとんとん拍子どころじゃないね。」
山「苦労とかないの?」
洋「・・・ないっ」
山「っくくくく、そんなことないんじゃない?」
洋「だからこれからなんじゃないかな。ボクの中ではまだ2歩しか歩みだしてないって感じなんだよね。ひとつは大学に入って演劇部のドアを開けた時で、それがすい分長ーーい一歩でここまできちゃって、水曜どうでしょうもどんどん人気がでちゃって、それでお芝居を観にきてくれたお客さんも増えて。で、大きかったのはどうでしょうが終わったんだよね。
いやぁー終わった時は寝れなかった。」
山「ショックで?」
洋「やっぱり怖かった、将来が。漠然とした不安を感じて色々考えて。で、もっとお芝居するしかないと思ったの。もしくは東京行こうか、っていうのが二歩目だよね」
山「でもその二歩目があって東京でも活動することになるじゃない?そしたらリスクを伴うわけでしょ?写真誌とかにああいう形でプライベートを切り売りされたりして。それは自分の理想になってるのかな?それとももがいてる状況なのか」
洋「あーもうボクは一生戦っていくと思いますね。この理不尽さとは。(途中略)例えば真夏にさオレが裸になってドリームビーチに居たらどんだけややこしいことかっ!」
スタジオ中爆笑」
洋「砂浜からもう水中メガネして浅瀬からもう泳いでさー、誰も行かないような沖までいって海に入っていったりしてんだもん。だからってサーフィンとかやる人じゃないしさー。だってオレなんてほっておいたら本当に普通のヒトなんだもん。」
山「そうなんだね。普通が好きなんだね」
洋「もうひとっつもタレントらしくないんだもん」

やっぱりね、やまちゃんが上手いね。
今日なんとなくipodのラジオ番組をクルクルして聞いたら3年前のサンデーだった。これから東京の仕事もしていかなくちゃいけない、そんな感じの時期。ファンの心境も微妙な時期だった。でも、その時と今と洋ちゃんの言ってることはそんなに変わってないなー。その時にファンだったヒトは今でもファンでいるのかなぁーとメールの常連さんのお名前を久々に聞いてふと思いました。